法然の生涯 親鸞の生涯 CD-ROM版 セット
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法然の生涯 親鸞の生涯 CD-ROM版 セット

¥5,200 税込

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「法然の生涯」CD-ROM版と「親鸞の生涯」CD-ROM版のセットです。 ────────────────────── 法然の生涯 ────────────────────── 法然(1133-1212)。日本浄土宗の宗祖。貴族の時代から武士の時代へ、大きく社会が動いた大変革の時代にあって、武力でも政治の力でもなく、ひたすら念仏を唱えることによって、極楽往生できると説きました。 エリート主義に凝り固まり、特権階級のものになっていた当時の仏教を、「すべての人の救い」という仏教のそもそもの在り方に戻した法然上人。 日本仏教史を語る上で、いや、日本人の精神の成り立ちを知る上で、ぜったいに欠かせない人物です。 本製品は法然の生涯を16章にわたって解説した、音声とテキストです。 内容紹介------------------ 第一章「九歳の受難」 法然は美作国(岡山県一部)の横領使(警察署長)、漆間時国(うるまときくに)の長男として生まれた。9歳の時、父が所領争いによって殺害される。幼い法然は父を討った敵への復讐を誓うが…(約7分) 第二章「比叡山」 故郷を後にした13歳の法然は、僧になるため、比叡山に登る。思う存分、勉強ができる!しかし法然の期待はすぐに失望に変わる。当時の比叡山は、俗世以上に、権力闘争と、出世競争の渦巻く世界だった。(約10分) 第三章「黒谷」 のべ25年間、法然はひたすら勉学に打ち込み、「智慧第一」とよばれるほどにまでなる。しかし、どんなに学問しても、知識をふやしても、悟りに至る道を見つけ出すことはできない。焦るばかりであった。(約7分) 第四章「求法」 法然は比叡山を下り、南都(奈良)へ遊学する。興福寺、東大寺といった南都六宗の寺寺をたずね、教えを乞う。しかし求めていたものは、どこへ行っても、いくら学問しても、得られなかった。(約10分) 第五章「求法」 承安元年(1175年)春の夜。43歳の法然は善導大師の『観経疏(かんぎょうしょ)』に読みふけっていた。そこに記されていたわずか34文字の言葉が、法然をとらえた。この瞬間こそ、法然の生涯の一大転換点であり、同時に、日本仏教においても、大きな歴史の変わり目であった。(約6分) 第六章「王舎城の悲劇」 経典『観無量寿経』にある「王舎城の悲劇」は、古代インドのアジャセ王子についての、オペラのような壮大な物語である。それは誰の心の中にもある悪や罪の問題を、鏡のように映し出す。法然にとって『観無量寿経』を読み解くことは、そのまま己の中の心の問題を紐解くことであった。(約12分) 第七章「アジャセ王子の出生」 子が父を殺し、母を虐待する。このような悲劇が、なぜ起こったのか?最初の罪。生まれる前の殺人。親が子を殺し、子が親を殺す。復讐が復讐を産む、憎しみの連鎖…法然は深い内省の中、己の内なるむき出しの憎悪と向かい合う。(約9分) 第八章「凡夫救済」 釈迦の前に身を投げ出し、ただ懺悔するほかないアジャセ王子。それは法然自身の姿でもあった。救われない魂が、それでも救われる道はどこにあるのか?その時、口をついて言葉があふれる。「南無阿弥陀仏…」法然はひたすら、阿弥陀仏の名号を唱えていた。ここに法然は30年間をすごした比叡山を下る。(約13分) 第九章「吉水」 比叡山を下った法然はまず西山の広谷(ひろだに)に、ついで東山の吉水(よしみず)に庵をむすぶ。念仏を唱えるだけで極楽往生できるときいて、身分ある人から庶民まで、多くの者が法然の説法をききにくる。(約10分) 第十章「大原問答」 文治二年(1185)秋。天台宗の僧・顕真が、法然はじめ各宗派の碩学を大原勝林院にまねき、三百人の聴衆が見守る中、法論が行われる。いわゆる「大原問答」である。(約7分) 「大原問答」はYOTUBEでお聴きになれます 第十一章「月輪殿」 摂政・関白をつとめた九条兼実は法然に深く帰依していた。法然が屋敷をたずねると、裸足で駆け出して迎えるほどだった。しかし法然は、兼実が専修念仏の教えをよく理解していないことに危険をおぼえる。そこで法然があらわしたのが『選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)』、浄土宗の根本聖典である。(約5分) 第十ニ章「元久の法難と興福寺奏状」 浄土宗が大きくなるにつれて、困った者も出てきた。他の宗派をバカする者、強引に勧誘する者。念仏さえ唱えれば救われるのだからと、酒食にふけり乱れた生活をする者…。こうした浄土教団の行き過ぎに対して、まず比叡山から、ついで興福寺からクレームがつく。(約9分) 第十三章「建永の法難」 後鳥羽上皇の寵愛する二人の女房が、法然の弟子(安楽・住蓮)のもと、出家してしまった。上皇が熊野詣で都を留守にしている間の出来事であった。この事件により、浄土教団への弾圧の嵐が吹き荒れる。(約5分) 第十四章「土佐配流」 法然の二人の弟子(安楽・住蓮)は処刑され、法然は土佐に流されることとなった。法然は瀬戸内海で、四国で、多くの人々を教化する。生き物を殺す漁師や、性をなりわいとする遊女に対してさえ、法然は救われる道を説く。(約8分) 第十五章「一枚起請文」 四国から戻ってきた法然は、東山大谷の禅房に住まいを定めたが、やがて病の床につく。亡くなる三日前、教えの一番大切な部分を弟子たちに書き記した。「一枚起請文」である。宗祖法然上人の御遺訓として、今に伝わっている。(約9分) 第十六章「嘉禄の法難」 「法然の墓をあばいて遺体を鴨川に流せ!」…法然入滅後、それまで秘蔵されていた『選択本願念仏集』が世に公開されたことにより、浄土宗への迫害の嵐が吹き荒れる。比叡山の荒法師たちは法然の墓を叩き壊し、遺体を奪おうとする。(約6分) 総時間 約2時間12分 ────────────────────── 親鸞の生涯 ────────────────────── 親鸞。 浄土真宗の開祖。建仁元年(1201)京都の六角堂で聖徳太子より「法然上人のもとに行け」と夢の中に示され、法然門下となる。 承元元年(1201)後鳥羽上皇が法然以下の浄土宗教団を弾圧した「承元の法難」により越後に流され、赦免後、妻恵信尼とともに関東へ移住。以後20年間、東国での布教につとめました。 本製品は親鸞の生涯を年代順に解説した音声とテキストです。 90年間の生涯の中、親鸞の思想がいかに深まり、実り、「絶対他力」「悪人正機」という思想につながっていったのか? 親鸞の足取りとともに、その精神的な旅路をもたどります。 ■法然と親鸞の関わりとは? ■「浄土宗」と「浄土真宗」は、どう違うのか? ■「東本願寺」と「西本願寺」は、なぜ分かれたのか? 内容紹介------------------ 第一章「六角堂夢告」 第ニ章「吉水時代」 第三章「興福寺奏状」 第四章「承元の法難」 第五章「越後から関東へ」 第六章「関東から京都へ」 第七章「善鸞義絶事件」 第八章「入寂」 約1時間30分 ------------------ 本製品は「CD-ROM版」です。 再生にはCDドライブつきのパソコンが必要です。 ★音楽用CDプレイヤーではご利用になれませんのでご注意ください★