聴いて・わかる。日本の歴史~飛鳥・奈良+平安京と藤原氏の繁栄+院政と武士の時代+鎌倉と北条氏の興亡+南北朝の動乱と室町幕府
聴いて・わかる。日本の歴史~飛鳥・奈良+平安京と藤原氏の繁栄+院政と武士の時代+鎌倉と北条氏の興亡+南北朝の動乱と室町幕府

聴いて・わかる。日本の歴史~飛鳥・奈良+平安京と藤原氏の繁栄+院政と武士の時代+鎌倉と北条氏の興亡+南北朝の動乱と室町幕府

¥14,000 税込

「飛鳥・奈良」+「平安京と藤原氏の繁栄」+「院政と武士の時代」+「鎌倉と北条氏の興亡」+「南北朝の動乱と室町幕府」のセットです。 解説音声CD-ROMです。 ─────────────── 飛鳥・奈良 ─────────────── 蘇我馬子や聖徳太子の時代から乙巳の変・大化の改新を経て、壬申の乱までの飛鳥時代篇。そして奈良時代篇では長屋王の変。聖武天皇の大仏建立。鑑真和尚の来日、藤原仲麻呂の乱。と歴史の流れに沿って語っています。 物部氏を亡ぼし権力を手中にした蘇我馬子は、推古天皇のもと聖徳太子とともに三頭政治を行います。聖徳太子は内には冠位十二階・十七条憲法を制定し、外には遣隋使を派遣。仏教を採り入れることに熱心に努めました。 皇極女帝の時代には、蘇我蝦夷・入鹿父子の勢いはとどまることがなく、これを重く見た中大兄皇子と中臣鎌足によって、皇居にて蘇我入鹿が殺害され、蘇我氏は滅亡。その後、孝徳天皇のもと行われた大化の改新は、平安末期まで続く律令制の礎をなすものとなりました。 百済からの援助要請を受けて戦った白村江の戦いに日本は大敗北を喫し、外圧による緊張が高まると、中大兄皇子は飛鳥から大津に遷都。667年ついに天智天皇として即位します。 天智天皇没後、後継者争いから壬申の乱が勃発。勝利した大海人皇子が天武天皇として即位。天皇親政をおし進め律令制を調えました。 女帝・持統天皇は孫・軽皇子が即位するまでのつなぎとして政治を取り行い、藤原京に遷都。 続く元明天皇の時代には、藤原不比等の主導により平城京に遷都。 長屋王は不比等の跡をついだ藤原四兄弟と対立したため失脚させられ、ついに藤原氏の娘・光明子が聖武天皇の皇后に立つに至り、藤原氏の権力は盤石のものになるかと思わた矢先、藤原四兄弟は天然痘で死亡。 かわって橘諸兄が権力をにぎるも、不満をたぎらせた藤原広嗣が九州で反乱。時を同じくして、聖武天皇は四度にわたる謎の遷都を繰り返し、また、東大寺の大仏建立をおしすすめ、鑑真和尚は苦難の末に日本にたどり着き仏教の戒律を伝えました。 以後、孝謙天皇の即位、藤原仲麻呂の乱、宇佐八幡宮信託事件、光仁天皇の即位、長岡京遷都まで語っていきます。 ─────────────── 平安京と藤原氏の繁栄 ─────────────── 長岡京遷都・平安京遷都から藤原氏による摂関政治の全盛期を経て白河上皇による院政が始まる直前まで、約300年間の歴史を語ります。 桓武天皇により長岡京遷都・平安京遷都が行われるも、東北では蝦夷との戦いが続いていました。最澄と空海は新時代にふさわしい新しい仏教をもたらし、嵯峨天皇は天皇親政を押し進めます。 平将門の乱。藤原純友の乱。関東と瀬戸内海で勃発した武士による反乱は、やがて訪れる武士の時代を予感させるものでした。 藤原良房・基経二代にわたって権力地盤を築いた藤原氏は、一条天皇を即位させるに至りいよいよその勢いを増し、藤原兼家、その子藤原道長の代に至り、その勢いは頂点に達します。 藤原氏の豊かな財力のもと、都では絢爛豪華な文化が花開き、清少納言、紫式部、和泉式部といった女流文学者たちがあらわれました。 しかし都のにぎわいをよそに関東では平忠常の乱が、東北では前九年の役、後三年の役が勃発し、時代は確実に武士の時代へと向かいつつありました。 ─────────────── 院政と武士の時代 ─────────────── 白河上皇による院政のはじまりから、保元の乱・平治の乱・平家一門の繁栄・源平の合戦(治承・寿永の内乱)を経て、源頼朝が鎌倉に武士の政権を開くまで。 社会が根底からくつがえった大変革の時代にあって、それまで権力を握っていた貴族にかわって、武士が、いかに力をのばしていったのか?簡潔にわかりやすく語った解説音声CD-ROMです。 応徳3年(1086年)白河上皇は、退位した上皇が天皇にかわって政治を行う【院政】を開始します。以後、白河上皇は堀河・鳥羽・崇徳三代40年以上にわたって【治天の君】天皇家の家長として君臨しました。 そびえ立つ法勝寺九重の塔。荘厳な熊野参詣の行列、そして上皇親衛隊としての北面の武士は、白河上皇の圧倒的な権力をわかりやすく示すものでした。 つづく鳥羽上皇の時代には、父鳥羽上皇と息子崇徳上皇の確執が続き、保元元年(1156年)鳥羽上皇が崩御すると、かねてから対立していた崇徳上皇と、弟後白河天皇の対立が激化。これに摂関家の内部対立がからみ、源平両方の武士たちをまきこんで、保元の乱が勃発。 さらに三年後の平治の乱では源氏の棟梁義朝は殺害され源氏は没落。一方平清盛は戦後、正三位ついで参議となり、その後も昇進を重ね、ついに太政大臣に至り、平家一門の全盛期につながっていきます。 「この一門ならずは人非人なるべし(平家にあらずは人にあらず)」とまで歌われた平家一門の繁栄の中、ついに平清盛はわが娘徳子を時の高倉天皇に嫁がせ、徳子と高倉天皇との間に生まれた言仁親王、後の安徳天皇が皇太子に立つにおよび、平家の権力は盤石なものとなるも、 やがて蜂起した後白河法皇第三皇子・以仁王によって打倒平家の檄文が全国の源氏に届けられ、平治の乱以降全国に散った源氏が立ち上がります。 以後、源平の合戦、奥州合戦、源頼朝による鎌倉幕府創設まで時代順に、一回10分程度の読み切り形式で、わかりやすく語っていきます。 通して聴けば、白河上皇による院政のはじまりから、平家一門の繁栄・源平の合戦(治承・寿永の内乱)を経て、源頼朝が鎌倉に武士の政権を開くまで。社会が根底からくつがえった大変革の時代にあって、それまで権力を握っていた貴族にかわって、武士が、いかに力をのばしていったのかが、楽しみながら学べるようになっています。 ─────────────── 鎌倉と北条氏の興亡 ─────────────── 源頼家の二代将軍就任から、三代将軍源実朝の暗殺、承久の乱。初の武家法たる御成敗式目の制定。五代執権北条時頼、八代執権北条時宗の時代を経て、北条徳宗家はいかに権力を確立していったのか? そしてモンゴル襲来、平頼綱の恐怖政治、後醍醐天皇の討幕計画。足利高(尊)氏と新田義貞の挙兵から鎌倉滅亡まで……約140年間の歴史を全35章に区切って詳しく解説していきます。 また、鎌倉新仏教の宗祖である法然・親鸞・日蓮・一遍・栄西・道元については、一人一人、それぞれの人生を追って、詳しく語りました。浄土宗も浄土真宗も、日蓮宗も、ふだんあまり意識しないなあ…結局何がどう違うのか?日本人として仏教の基本的な知識は知っておきたい、という方にもおすすめです。 ─────────────── 南北朝の動乱と室町幕府 ─────────────── 後醍醐天皇による建武の新政・足利尊氏による足利幕府樹立から南北朝の動乱、三代将軍足利義満の黄金期を経て、六代将軍足利義教の時代までを語ります。 鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇は「建武の新政」を行い、天皇親政による秩序ある世の中を目指します。しかし、待遇の不公平から武家の反発を招き、建武の新政はわずか2年で破綻。 足利尊氏・直義兄弟は北条氏の残党討伐に乗じて後醍醐天皇の建武政権を離脱。鎌倉で、ついで京都で武士による新政権を樹立します。足利幕府の始まりです。 一方、京都を追われた後醍醐天皇は吉野へ逃れ、京都で尊氏が打ち立てた光明天皇と対抗します。北の京都と南の吉野に二人の天皇が並び立つ、南北朝時代の始まりです。 さて足利尊氏・直義兄弟は次第に対立を深め、そこに南北朝の動乱が複雑にからみあい、観応の擾乱とよばれる、全国を巻き込んだ争いへとつながっていきます。 その後、三代将軍足利義満は足利将軍家の権威を高めることにつとめ、山名氏・大内氏など有力な守護大名を討伐する一方、57年ぶりの南北朝の合一を実現。また京都北山の地に、後に金閣と呼ばれる荘厳な北山第を築きました。 六代将軍足利義教は父義満の時代の「強き将軍家」を理想とし、足利将軍家の支配力を強めますが、しかし義教の性格は陰湿・残虐・冷酷であり皇族から庶民まで見境なく処罰したためついに、守護大名・赤松氏によって殺害されます。